2015年8月6日木曜日

息苦しさを捨てる

僕は海の中で叫び声をあげた  
体中の力を集め 思いっきり はるか遠くにある大陸まで届くように  
  
海は気泡で一杯になった  
やがて波音の世界に戻る 静寂が僕を包む  
  
息が苦しくなって海面に顔を上げた  
そこで僕は叫ばない  
  
自由や権利を振りかざし 右も左も我らに従えと命令する世界  
意志と欲望と無知と勘違いが幾重にも絡みつき  
  
あちこちから見えない何かが  
いくつもいくつも覆いかぶさってくる  
  
考えようとする人を排除する 
だから僕は息をひそめるのだ   
  
今日も僕は一人で海にもぐる     
物事の本質が海底に落ちている    

2015年4月13日月曜日

【投票しないのは誰だ】

統一地方選の前半が終了。
だけど、相変わらずの低い投票率
   (ちなみに国政選挙 の推移)
結果、組織票で当選した先生が続出。

一部の民意しか反映していない、
バッチ族がブンブンだ。
 (政策より、人情優先議会)

投票所の場所を工夫するなり、
インターネツトで投票できるようにしてほしいけど、

面倒なことは拒否したい傾向の行政マンに
期待は禁物。

投票率50%に満たない選挙は無効にする
(もちろん、4年後まで再選挙しない)など
仕組みを変えないと、
バッチ族は本気で選挙改革しないだろ。

とにかく、自分の一票を大切にしたい。
唯一の意思表示の機会だ。
たかが一票、されど一票。
        
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2015年3月19日木曜日

ご縁をいただき、福聚山慈眼寺 の
ご住職 塩沼亮潤大阿闍梨の講演を聴く機会を得た。 

テレビ出演や講演活動を精力的にされておられるので、
ご存知の諸兄も多いと思います。 

大阿闍梨が書かれた「人生生涯小僧のこころ」(致知出版) 
「忘れて捨てて許す生き方」(春秋社)などを
以前に読んでいた私は、久しぶりにワクワクした時間を
過ごすことができました。 
 
   (福聚山慈眼寺 は、秋保温泉の近くにあります)

 ※修験本宗金峯山寺にて、平成11年(1999年) 千三百年の歴史で
  二人しか達成したことが無い「大峯千日回峰行」を満行され、
  翌年に9日間、食わず・飲まず・寝ず・横にならずという
  「四無行」を満行。 
  平成18年(2006年) 100日間、五穀(米・大麦・小麦・小豆・大豆)と
  塩を断ち「不動立印供」を修法した後、24時間一昼夜、飲まず食べず
  寝ず横にならないで八千枚の護摩を焚き続ける「八千枚大護摩供」満行。 

大阿闍梨は、修行体験をご紹介されながらお話をされました。
 (「笑い」も織り交ぜておられました) 

 ●講演内容●(私のメモ)
 ・どんな宗教も修行すれば、
  人を思いやる心に行き着きます。 
 ・「迷いの道(悩み・苦しみ)」と「真理の道(正しく生きる}」
  この2つを心は揺り動きます。
 ・「真理の道」にたどり着くにはどうすればよいか。
  囚われの心を「忘れきる・捨てきる・許しきる」と
  見えてきます。
 ・入門時に先輩僧侶が、「今日より明日、明日よりあさって
  の気持ちで修行に励むように」とおっしゃられた。
  この言葉を忘れずに、
  情熱を絶やすことなく修行を続けました。  
 ・明るく過ごしても一日、嫌々やっても一日です。
  同じ一日なら明るく過ごしたいものです。 
 ・限界を超えると「死」が待っていますが、
  限界を押し上げると、
  理解できないようなチカラを発揮します。 
 ・どんな難行苦行も、伝統ある修行は理にかなっているから
  言い伝え通り行えば成功するものです。
  自分勝手にやろうとすると失敗します。 
 ・人生の行は一生続きます。 
  行とは特別なことではありません。
 ・僧侶はそれをお寺で行うというだけです。
  大学生はしっかり学問をする、
  会社員なら仕事をしっかりやる。 
  このことが人生の行なのです。

私は、こちらで、大阿闍梨を知りました。
 ↓    NHK「こころの時代 宗教・人生」 
             (平成19年4月8日放映)

 まだ読んだことのない人は、この機会にどうぞ↓

2015年3月16日月曜日

寝ている時に、「夢」を見る。
ほとんどは、目覚めとともに忘れてしまう。

起きている時に見る「夢」がある。
「こうなったらいいな」「こうしたいな」と思う。



はたして、「夢」を想うだけで、
満足してしまう人が多すぎはしまいか。

目標を立てて、「夢」実現に結びつける。

起きている時に見る「夢」は、
叶えるためにある。

2015年3月11日水曜日



「主体性」

地元の市役所へ行った。書類片手に玄関に立っていると、係の人がすぐさまサポートしてくれる。以前なら、お願いしないと見向きもされなかったが、随分と変わったものだ。
しかし、客扱い(利用者扱い)に不慣れなようで、目はキョロキョロ、身体はウロウロ、どこか落ち着きがない。
論点の摺り合わせや書類モノといった、前例主義の「行政文化」に染まっていない一般客(市民)に対するマニュアルがなく、不安なのだろう。
これは日本人全般に言えることだ。
日本人は評価をやたら気にする。特に海外からの評価に敏感だ。中国や韓国などはそんな雰囲気を察した発言をする。
国際化・グローバル化といったところで、己の意見を持っていない日本人は右往左往、人の目が気になって場当たり対応。熱しやすく冷めやすい、流行に踊らされやすいのだ。
所詮、価値観や文化の違いは当たり前のこと。仕事や生き方など自身の価値観が確立していれば、堂々としていられるものだ。